- 三線作りを
始めたきっかけ
- 三線を作り始めたのは昔お金がない時に消音ウマを作ったのがきっかけでした。
もともとモノ作りが好きだったんですがエイサーのバチを加工してオリジナルの消音ウマが出来た時は何とも言えない達成感にも似た気分になりました。
それをきっかけに三線作りを始めました。
- 三線作りの嬉しい時
- 三線作りの嬉しい時は、竿削りも終えて塗りが出来上がった三線を見る時と出来上がった三線を初めに鳴らす時のドキドキ感ですね。
いい音がなった時の高揚感は三線職人にはたまりません。
いい音がでる三線ができた時は喜びも大きいけど、必ず売れるので売れたときは少し寂しさも感じます(笑)
でも、自分で作った三線が三線演奏者や地謡な方が気持ちよく弾いてくれると思うと三線職人やってて良かったと思えます。
- 三線を持つ人だから
- 三線を持つ人ならでは気になること。
手にした時の質感。
弦の貼り方。
からくいの締め方。
気になることを数え上げればきりがない。
だからこそ、大切にしてもらえる三線を作りたい。
朝、目が覚めて今日もまた三線を作れる事に感謝しながら日々の仕事に励んでまいりたいと思います。
是非三線を手に取って弾いて見て下さい。
よろしくお願い致します。
- 沖縄県糸満市で最も若い青年会で発起人である4名が故郷に青年会を立ち上げたいという強い思いから2009年に発足しました。
エイサーとは、沖縄諸島全域でお盆の時期に踊られる伝統芸能のことです。
旧暦7月15日の夜に、下界に降りてきて、帰りたがらない先祖の霊を、太鼓を叩いて脅かし、再びあの世へと送り出したのがその始まりとされており、
約400年の長きに渡り受け継がれてきた歴史を持っています。
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- 沖縄音楽
(おきなわおんがく)とは、琉球王国ひいては沖縄県で生まれ、育まれてきた音楽文化。伝統的な楽曲の他、庶民の生活や、恋の歌、地域愛の歌などが多く、その時代の生活や、苦労が、うかがえる。
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- 琉球古典音楽
(りゅうきゅうこてんおんがく)とは、沖縄音楽の一種で、琉球王朝時代に宮廷音楽として演奏されていた音楽の総称。琉楽(りゅうがく)とも呼ばれる。羽地朝秀の政策によって士族の作法や教養として広く奨励された。主に冊封使や薩摩藩、江戸幕府に対する接遇として披露されていたようである。その曲目は200曲余。複数曲を組み合わせ、琉球舞踊や組踊、沖縄芝居の楽曲としても用いられる。